2002年度痴呆高齢者予防研修プログラム研究開発事業報告書
はじめに
高齢者問題で、自他ともに極めて深刻な問題は、痴呆性高齢者の対応ではないだろうか。日本では高齢者人口の7%が痴呆性高齢者であるといわれているが、その割合から推計すると、2010年には226万人、さらに2015年には262万人に達すると予測されている。
しかも痴呆性高齢者の7割は在宅である。一方、特別養護老人ホームなど施設入居者の9割近くが痴呆症であるといわれている。
しかし、介護予防や痴呆性高齢者の介護については、未だ充分に研究が成されていない。そればかりか、痴呆症として診断されることさえも遅れがちである。結果として、痴呆性高齢者は、他の高齢者や身体に障害をもっている人々よりも理解されておらず、放置あるいは間違った介護がなされがちである。痴呆性高齢者の人権問題とりわけ拘束や虐待などは、解決が遅れていたといっても過言ではない。また、介護者の苦悩・苦労も極めて大きいものがある。
この研究報告書は、以上のような痴呆性高齢者の理解を先ず深め、痴呆性高齢者の医療・保健・福祉を進めるための前提として行ったものである。
しかし、着手して以来、常に議論がなされたことは、痴呆高齢者疑似体験プログラムが、果たして確立できるのか、という点であった。だが、多少でも理解へ近づくためのものとして、講演会にて長谷川和夫先生や雨宮克彦先生の実践に根ざす貴重な特別報告を得ることができ、フィンランドの実態紹介をフィンランド大使館関係の鷲巣栄一・白根美保子両氏から得られたこと、さらにウェアラブルコンピュータの導入によるITケアの実現を板生清先生が考案してくださったことなどによって、どうにか目的に近づき得たと考える。とりわけ、痴呆に直接関わっている現場の方々などへの調査をもとに、小野寺敦志氏からの報告がなされたことは、貴重な成果であったと考えられる。
これらの成果によって、初期の目的にかなり近づけたと自負もし、関係の皆様には心より御礼を申し上げる次第である。
なお、今回の開発研究は、決してこれで終わりではなく、来年度も何らかの形で継続できればと願ってやまない。そして、少しでも明るい長寿社会の実現を努力していきたいと考えている。今後とも変わらぬご協力とご支援をお願いする次第である。
2003年3月
公益社団法人長寿社会文化協会元会長
一番ヶ瀬 康子
もくじ
はじめに……1
痴呆高齢者疑似体験プログラム開発研究事業の概要……5
[Ⅰ]特別委員等による特別報告……10
- (1)「正しく痴ほう症と向き合うために」長谷川和夫……12
- (2)「痴呆高齢者の心理と行動の特徴」雨宮 克彦……27
- (3)「フィンランドにおける痴呆高齢者の介護について」鷲巣 栄一……40
- (4)海外視察リポート「フィンランド痴呆症高齢者介護視察レポート」白根美保子……53
- (5)「ウェアラブルコンピュータの導入による痴呆高齢者ITケアの実現」板生 清……69
[Ⅱ]アンケート調査報告……83
- 「痴呆性高齢者の疑似体験プログラムの作成を目的にした
- 基礎資料収集のための調査」報告書 小野寺 敦志
[Ⅲ]痴呆高齢者疑似体験プログラム(装着モデル)の開発経過……124
[Ⅳ]痴呆高齢者疑似体験プログラムモデル事業報告……129
- 痴呆高齢者疑似体験プログラムによるモデル研修
- ―痴呆の理解、痴呆高齢者の理解― 小野寺 敦志
〈おわりにかえて〉
痴呆高齢者疑似体験プログラム研究委員会に参加して 五島シズ……146
●巻末資料……148
(1)痴呆高齢者疑似体験プログラムの作成のための基礎調査アンケートシート
- ・ホームヘルパー用アンケート質問シート……149
- ・一般向けアンケート質問シート…157
(2)痴呆高齢者疑似体験プログラム開発のためのアイデア集……164
- ・痴呆高齢者疑似体験プログラム研究会の進め方について……165
- ・痴呆高齢者疑似体験プログラムについて・進行案メモ……171
- ・痴呆高齢者疑似体験プログラムのための事例紹介……173
- ・英文書籍の翻訳刊行について……175
(3)痴呆性高齢者疑似体験プログラムモデル研修検証アンケート
- ・痴呆性高齢者疑似体験アンケート……178
- ・アンケート集計結果……179
痴呆高齢者疑似体験プログラム
開発研究事業の概要
〈研究の目的〉
痴呆性高齢者が20年後に300万人に達するだろうと危惧されている。痴呆性高齢者というと、暴力をふるったり、もの盗られ妄想に陥ったり、ろう便などの周辺症状が取りざたされたり、日常生活を送る上で多大な支障をきたすため「痴呆だけには絶対になりたくない」と思いこまれている。
しかし、痴呆の解明が進み、良いお世話をすれば、記銘力低下や見当識障害がある痴呆の方でも、特に強く感情的な反応を示さず、行動障害も少なく、ものごとをニコニコと受け流してすぐに忘れてしまい、静かにだんだんと全ての精神・身体活動が低下して余生を全うすることもわかってきた。
そこで公益社団法人長寿社会文化協会(以下「当協会」という)では、平成14年度に(財)日本財団から助成を受け痴呆高齢者疑似体験プログラム研究委員会(以下「研究委員会」という)を設けて、痴呆高齢者疑似体験プログラムの開発に着手した。
その目的は、痴呆性高齢者(注)について一般の人が容易に正しく理解できる研修プログラムを研究開発することである。
注:一般的に「痴呆性高齢者」という表現が用いられているが、研究委員会では、本開発研究事業を進めるにあたって、「痴呆高齢者」という言葉を用い、当協会が開発し広く活用されている高齢者疑似体験プログラム(うらしま太郎)にならって「痴呆高齢者疑似体験プログラム」という表現を用いることにした。
〈研究委員会の設置〉
(1)当協会では、痴呆高齢者疑似体験プログラム開発研究事業(以下「研究事業」という。)を有効に進めるために、痴呆高齢者介護に関わる医学領域、福祉領域、在宅ケア領域、情報工学領域の専門分野からなる研究委員会を設置した。
そのメンバーは次の通りである。
- 委員長
- 一番ヶ瀬康子(公益社団)長寿社会文化協会元会長・長崎純心大学教授
- 特別委員
- 長谷川 和夫 聖マリアンナ医科大学理事長・名誉教授
- 学術委員
- 雨宮 克彦 総合ケアセンター「泰生の里」総長・精神科医
- 板生 清 東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学教授
- 伊藤 卓雄(財)予防接種リサーチセンター理事
- 小野寺 敦志 高齢者痴呆介護研究・研修東京センター研究企画主幹
- 五島 シズ 全国高齢者ケア協会監事
- 佐々田 縫子 元長崎純心大学講師、訪問看護師
- 白根 美保子 前フィンランド政府観光局
- 濱田 静江 NPO法人たすけあい・ゆい理事長
- 鷲巣 栄一 フィンランド大使館・技術顧問 (あいうえお順)
(2)学際相互の理解を深めるため、各分野の専門家に痴呆ケアに関わる特別報告を講演会方式で一般に公開して行った。ここでの報告をもとに、研究事業の進め方について討議した。テーマは以下の通りである。
- 1回「正しく痴ほう症と向き合うために」……長谷川和夫
- 2回「痴呆高齢者の心理と行動の特徴」……雨宮 克彦
- 3回「フィンランドにおける痴呆高齢者の介護について」……鷲巣 栄一
- 4回「ウェアラブルコンピュータの導入による痴呆高齢者ITケアの実現」……板生 清
- (詳細は、10頁以降の講演会サマリー参照)
〈研究委員会の活動〉
1.特別委員等による特別報告(講演会方式による)
2.事例調査
- (1)海外事例調査
- ユニットケアなど痴呆性高齢者の介護で成果をあげているフィンランドを視察した。フィンランドではより良い介護をめざして先進的な実践がされていた。①痴呆ケアにおける介護職の役割を高く位置づけているので、介護職の教育が重視されている。②痴呆ケアの発展のために、日々の介護データを収集することを介護職に課している。③スーパーバイザーの指導の元で、データの分析と介護現場へのフィートバックをしている。そうした現場の努力だけではなく、痴呆について正しい理解を得るために、一般向けパンフレットなどが充実しているなど、日本の痴呆ケアをよりよくしていくために参考になる情報が多数あった。(詳細は、53頁「フィンランド痴呆症高齢者介護視察レポート」参照)
- (2)長崎県における事例の調査
- 長崎県の痴呆対応型共同生活介護事業をしているNPO法人ふるさとの家「城下」の理事長小関みどり氏の研究委員会出席により、事例報告を受けた。「城下」では、より良い介護をするために、利用者の許可を受けて、利用者の生活や介護者とのやりとりをビデオ撮影している。そのビデオを事業所内研修等で、ケーススタディに使い、日頃の介護のあり方を検証している。
3.痴呆性高齢者の疑似体験プログラム作成を目的にした基礎資料収集のための調査
- 痴呆および痴呆性高齢者をどのように理解しているかを明らかにするために、ホームヘルパー150名、その他一般108名を対象に、アンケート調査をした。
- この調査によれば、「痴呆」という病気に対するイメージに関して、「高齢になると誰もがなり、その人の本性がでる病気」と誤った理解によるイメージや「自分はなりたくない病気」と主観的で否定的なイメージでとらえているのが分かり、一般対象者への痴呆理解のための啓蒙啓発は重要であることが確かめられた。従って、具体的な事例を通して、痴呆の理解を促進する情報提供に加え、痴呆性高齢者への偏見を助長せず、人権を尊重することの重要性を説く内容の啓蒙啓発が求められる。(詳細は、83頁「痴呆性高齢者の疑似体験プログラム作成を目的にした基礎資料収集のための調査」報告書参照)
4.痴呆高齢者疑似体験プログラム(装着モデル)の開発経過
- 研究委員会は、上記1〜3の報告及び調査を踏まえて、議論を重ね、既知の知識と既存の技術を組み合わせた形で、痴呆高齢者疑似体験プログラム(装着モデル)を開発することとした。
- このため、研究委員会の中に、痴呆高齢者疑似体験プログラム研究開発小委員会を設けて、技術的視点を中心に検討を進め、装着モデルを開発することとした。痴呆高齢者疑似体験プログラム研究開発小委員会のメンバーは次のとおりである。
- 痴呆高齢者疑似体験プログラム研究開発小委員会一覧
- 板 生 清 東京大学大学院新領域創成科学研究科・環境学専攻教授
- 伊 藤 卓 雄 (財)予防接種リサーチセンター理事
- 小野寺 敦志 高齢者痴呆介護研究・研修東京センター研究企画主幹
- 五 島 シ ズ 全国高齢者ケア協会監事
- 白根 美保子 前フィンランド政府観光局
- 濱 田 静 江 NPO法人たすけあい・ゆい理事長
- 鷲 巣 栄 一 フィンランド大使館・技術顧問
なお、装着モデルの開発にあたっては、実際の作業面で、蜂須賀啓介、有光知理(東京大学大学院新領域創成科学研究科・環境学専攻)の両氏の多大な尽力と協力を得た。具体的には、機材は市販のヘッドマウントディスプレイを使用することにし、トイレを探して迷っている痴呆性高齢者の目で見たビデオ映像を制作することにした。
5.痴呆高齢者疑似体験プログラムを検証するためのモデル事業の実施
- 痴呆高齢者疑似体験プログラム(装着モデル)の試作品を検証するため、モ デル研修を一般公募を含め14名の参加者を対象に実施した。(詳細は12 6頁参照)
- 研修体験前及び研修体験後にアンケートを実施し、評価した。これによると、痴呆が病気だという認識が持てたり、見当がつかなくてむやみやたらに怖がっていたが、いたずらに恐れる必要がないと理解されていることが分かった。
- なお、モデル研修に用いた装着モデルの試作品については、今後はさまざまな人々の検証を受け、発展させて、よりよい内容のものに改善していき、すでに当協会が開発し、実用化され、高齢者の介護や高齢社会の社会環境改善に貢献している高齢者疑似体験プログラム(うらしま太郎)と同様、広く活用されることを目指したい。